「拒否」の理由

ちょっと久しぶりの感がある、この手の報道だが。…ってか、エントリ上げるの自体が「ちょっと久しぶり」なんてレベルじゃねーぞ。それはさておき。
<救急搬送>7病院で受け入れ拒否、三重県の78歳女性死亡
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100403-00000044-mai-soci


「拒否」という表現は止めろという話は置いておいて断る理由をまとめると、以下の3つに大別されると思う。

1.受け入れ側の絶対的なマンパワー、キャパ不足。
→誰も手が空いていなければ、搬送されてきてもしばらくお待ち頂くことになる。いわゆる「ベッドが足りない」もこれで、よしんば廊下に寝かせたところで治療のための人手が足りない場合がほとんど。

2.誰も手が空いていないわけではないが、専門家の処置を受けられるまで(呼び出しや手が空くまで)時間がかかる
→割と多いケースだろうか。本質的には上と同じ、キャパ不足の話。「専門外でもとりあえず診ろ、人の命を何だと思っているんだ!」的なご意見の方へ。専門外、あるいは不十分な体制でもよかれと思って受け入れた場合、結果が悪ければ訴えられる。訴えられないとしても、専門外を受け入れて結果的に不十分な治療となる恐れがあるなら、受け入れる方が無責任というものだ。…実は十分な体制だったとしても、結果が悪ければ訴えられたりするのだけれど。
なお、呼び出し回数が頻回な場合は専門家が過労死する恐れもあるので、いくらでも応じるわけにはいかないことに注意。

3.専門家もいて体制的に十分受け入れられるけど面倒、あるいは訴訟リスクが嫌。
→稀な例外的事例としてはあるのかも知れないが。上記のキャパ不足と関連して、専門医はいるが過重労働でヘロヘロとなっている場合もあるかも。少なくとも急を要する、あるいは致命的となる可能性がある場合なら、普通の医療機関ならこの理由で断るのは少ないと思う。

まあ3.は拒否と呼べそうだが、1,2は受け入れ困難、あるいうは不能とするのが妥当だろう。他の疑問についても、例えば救急受け入れ問題FAQなどが答えてくれると思う。



医師不足(あるいは過重労働の常態化)は今に始まったことではないのだが、以前はそれなりにうまく回っていたのだろうと思う。敢えて劣悪な労働条件の中で働く医師は、それなりの意志・気概を持っている人間しか残らないというフィルターも働いていたのかも。でも「患者様」的な意識の増大や訴訟リスクの増加、それに伴うインフォームドコンセントなど業務の増加などにより、相対的なマンパワー不足も顕在化してきたのだろう。患者側の理不尽な言動によるモチベーション低下ももちろんある。

民主党政権下で医師数は増加させる方向に転じている。しかし医者を増やしても訴訟リスクが減らないなら、上記の1は減ったとしても3が増加するだけなんじゃないだろうか。産科をはじめとする訴訟リスクの高い科は避けられるだろうから、2も増加するだろうし。


理不尽な言動、訴訟リスクを減らすためには国民の意識が変わることが一番よいのだろうが、それは事実上困難。また、精神面でのサポートがあったとしても、医学的に「最善を尽くしたが仕方なかった」ような事例でも訴訟を止めさせるのは困難だろう。
医師数増加も必要だろうが、医療者が必要以上の訴訟リスクに晒されないための法的枠組みこそ必要という話だろうと思う。別に救急に限った話でもないしね。