「犠牲」

いつも拝見しているブログ「ななのつぶやき」から、このエントリを紹介します。

犠牲

身近な医者を、2人亡くしています。

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一人は約10年前。
当時30代の、先輩医師です。
研究に、臨床に、非常に忙しくなさっていました。
たまにご連絡を下さる時は、決まって深夜2時3時のメールでした。
学生時代は体育会でご活躍された先生で、
人間?と思いたくなるようなタフさと、ひょうひょうとした笑顔を併せ持った
爽やかな先生でした。
大学病院勤務時代の夏、当時研修医だった私たちを集めて
ナイター見物に連れて行って下さったことがありました。
外野席で、ビールを飲みながらハンバーガーとポテトをほお張って
みんなでひゃあひゃあ言っていたら、
先輩だけ眠ってしまったのを、今でも覚えています。

その日も、病院で夜遅くまでお仕事をなさっていました。
術後の患者さんが落ち着くのを見届けた後、
0時過ぎから論文の添削を始めたところまでは、他の医師が見ていました。
翌朝、出勤してきた同僚医師が、医局で倒れている先生を見つけた時には
既にお亡くなりになっていたそうです。

葬儀には、婚約者の女性は出て来ることができなかったと、
後で聞きました。

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今度は、友人医師を亡くしました。
彼女も、30代です。

同じ職場の上級医師が、過労でその病院に入院中でした。
元々、一人が過労になるような労働環境ですから、
多くをお話しする必要はないでしょう。
一人が入院・休職しても、現在の医療事情では代替要員は派遣されませんので、
残ったドクターたちは、目も当てられない忙しさでした。
緊急opeのある科の医師で、毎日遅くまでopeをした上に、
夜中も容赦なく呼び出されていました。
「過労だけは気をつけようね。壊れる前に、逃げようね」
と、お互い言い合っていたのに・・・

その日、彼女は当直でした。
翌朝、交代で当直に来た若い先生が当直室に入ると
彼女は机にうつ伏せになった状態で、亡くなっていたそうです。
大きな悲鳴を聞いて、一番に駆けつけた人が
何と過労で入院中の、彼女の上級医師でした。
その先生は、自分が休職したからだと自分を激しく責め、
入院先も変えた上に、退職されてしまいました。
残った同じ科の先生たちも、全員がご自分を責め続けています。

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二度と犠牲者を出したくありません。
どうしたらいいでしょう。

…読後の感想は、残念ながらうまく表現できる言葉を持たない。
もっと残念なのは、
二度と犠牲者を出したくありません。
どうしたらいいでしょう。

という問いに対して確実といえる対策を見出せないことだ。

国が医師の数を減らし、国が医療費を削り、結果として非人道的な過酷な労働を医療者たちに強いる。 もう医療は崩壊しつつある。”特効薬”など、ありはしない。
いまさら医学部の定員を増やしても、戦力になるのは10数年後。手をこまねいている間にいったん医療が崩壊してしまえば、技術や知識の伝達も途絶えてしまう。

それでもいまさら焼け石に水かも知れないが、医療費削減策の撤廃は必須だろう。何も自分の給料を上げろというのではない。雑用まで強いられる医師の労働を分散しようとしても、今の現場にはなかなかそのコストがない。
そして国民側も、「医療は”限られた資源”である」と捉える見方が必要になってくることだろう。「これまでと同じ医療を受けるのは無理」と腹をくくることも必要かも知れない。