大淀病院産科医師を支援します

以前のエントリでも触れたように、奈良・大淀病院での妊婦死亡事例において、遺族の方が産婦人科医と病院を相手取って損害賠償請求の民事訴訟を起こされました。本日は、その初公判の日です。
まずはこの問題を語るにあたり、亡くなられた方、そして遺族の方々に哀悼の意を表したく思います。

以前のエントリでも書きましたが

説明を、病気を、そして死亡を受け入れ難い心情は理解できる。そのことで遺族をいたずらに責めるべきではないだろう。

という思いは変わりません。人の死は、理屈で簡単に割り切れるものではないということは十分に承知しています。
しかしこの件は、子癇発作に脳出血を合併するという稀な事例で、症状を後から振り返っても診断は極めて困難であったと考えられています。そしてマスコミによる「6時間放置」「たらい回し」といった批判は当を得ないものと考えます。


真実を求めて訴訟を起こすのは、確かに当然の権利です。しかし例えば、小児麻痺に関する民事訴訟の話。
小児麻痺の子を育てていくのにはもちろん精神的・肉体的負担がありますし、金銭的負担も軽くはないはずです。その責任をどこかに求めたくなる気持ちはもちろん理解できます。しかし例えば麻痺の原因を医療側に訴える訴訟においては、医師に過失がない場合でも患者さんを救うために「出産時の医療行為が原因である」として医療側が賠償金を支払う、あるいは和解するといった事例が多いことが学術的に明らかにされています。
患者さんを救済するために真実を曲げることがあってはならないし、救済のために真実を曲げなければならないとすればそれはシステムの問題です。そういった意味でも、医療側にミスがなくても患者さん側を補償する「無過失補償制度」の早期制定が望まれます。

また蛇足ですが、搬送先がなかなか見つからなかったということについても、搬送を断った各病院の責任ではなく救急医療体制の不備が問題であったと考えられます。”善意”だけでは命は救えず、マンパワーや設備が必要なのです。

私は医師として、大淀病院産婦人科医(やこの件に関わった医師たち)の過失のためにこの患者さんが亡くなった訳ではないということを信じています。このことにご賛同頂ける方は、コメントをお寄せ頂ければと思います。