「妥当な判決」で医療は救えない

いわゆる「割りばし事件」の民事訴訟の判決が出た。

診断の困難性や、救命の可能性の低さについては今更という気がするが。
とりあえず以下に「ヤブ医者ブログ」を紹介し、今回の”頚静脈孔”を経た損傷がいかに不運で診断困難であったか指摘しておく。(頚静脈孔を経た受傷はこの件を含め世界で2例しか報告がなく、しかももう1例は矢が刺さったという外から見れば誰でも分かる受傷)
http://blogs.dion.ne.jp/yabudoc/archives/2931189.html
http://blogs.dion.ne.jp/yabudoc/archives/2934747.html
また仮に診断が付いたとしても、救命が極めて困難なのは間違いないところだ。

こうした事実を踏まえると、診断自体が困難だし救命可能性も低いと判断した今回の判決はまったく妥当なものである。
さてここで、
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080212-00000122-mai-soci
より引用。

<割りばし事故>遺族敗訴「予見不可能」 東京地裁判決

2月12日21時23分配信 毎日新聞
 東京都杉並区で99年、のどに割りばしが刺さって死亡した杉野隼三(しゅんぞう)君(当時4歳)の両親が、杏林大付属病院(三鷹市)を開設する学校法人杏林学園と担当医に8960万円の賠償を求めた訴訟で、東京地裁は12日、請求を棄却した。加藤謙一裁判長は「割りばしが刺さったことによる脳損傷を予見することは不可能だった」と担当医の過失を否定した。両親は控訴する。

 担当医の根本英樹被告(39)は業務上過失致死罪に問われ、06年3月の東京地裁判決は無罪としたものの、適切な診察を怠った過失があると認定していた。同じ証拠に基づきながら刑事裁判と民事訴訟で判断が分かれ、両親はより厳しい結論を突き付けられた形となった。

 判決は、根本被告が適切な問診をしていればより重症であることが判明した可能性があると指摘したが、それまでに同様の症例がなかったことや病院搬送中の記録などを基に「髄液漏出や神経学的異常は認められず、当時の医療水準に照らし脳損傷の発生を診断すべき義務はない」と判断した。脳損傷の診断があった場合の救命可能性についても認めなかった。

 両親は「十分な診察を怠った」と主張して、00年の隼三君の誕生日(10月12日)に提訴。根本被告の過失に加え、チーム医療体制を構築していない不備や隼三君死後の説明の不適切さなど、病院側の対応も問題としたが、判決はいずれの主張も退けた。

 刑事裁判で1審判決は、根本被告のカルテ改ざんまで認めたが「救命可能性が極めて低かった」と判断して無罪を言い渡した。検察側が控訴し審理が続いている。【北村和巳】

 ▽東原英二・杏林大付属病院長の話 主張が認められほっとしている。改めて隼三さんのご冥福をお祈りする。

【ことば】割りばし死亡事故 東京都杉並区で99年7月10日、母らと盆踊り大会に来ていた隼三君が、綿菓子の割りばしをくわえたまま転倒。杏林大付属病院に運ばれ、担当医は5分間の診察で傷に薬を塗っただけで帰宅させ、隼三君は翌朝死亡した。司法解剖で7.6センチの割りばし片が脳に残っていたことが判明、死因は頭蓋(ずがい)内損傷群とされた。

 ◇「あまりに意外な判決 納得いかない」父親

 判決後に会見した隼三君の母文栄さん(50)は「必ず良い報告ができると約束して家を出てきたが、隼三に掛ける言葉すらない」とハンカチで涙をぬぐった。父正雄さん(56)は「あまりに意外な判決で動揺している。過失を認めた刑事裁判の証拠を無視しており納得いかない。明らかな医療ミスでないと許されるのか」と憤った。

 隼三君は「特殊なけが」と高度な設備が整った杏林大付属病院に搬送された。文栄さんは「開業医の方がするような治療もなく、警察が捜査したのに報告書もない。こうした病院のあり方に判決が言及してくれると信じていたが、残念」と語った。

 提訴から7年4カ月。事故当時は小学6年だった長兄で大学生の雄一さん(20)は、高校で教べんを取りながら死の真相を問い続ける両親の姿を見つめてきた。「父と母の苦労が否定された感じで悔しい」と話した。

 ウルトラマンが大好きだった隼三君は事故直前の七夕で、短冊に「正義の味方になって悪と戦いたい」と文栄さんに書いてもらった。文栄さんは「最後には隼三を正義の味方にしてあげたい」と話した。【北村和巳】

最終更新:2月12日21時59分

ご両親の気持ちは分からないではないものの、事実を見つめられない態度、いわゆる「モンスター化」には正直嫌悪感さえ覚えざるを得ないのだが。それはさておき。

「妥当な判決」が出るまで、事故から実に9年(当然、この件の当事者となった医師の人生はボロボロであろう)。その間には、軽微に見える外傷でもCTを撮ろうという”教訓”も確かに広まった。しかし被爆のリスク・医療費など考えるとデメリットがむしろ多そうであるし、何より救急現場の萎縮がこの件を機に猛烈な勢いで進んだと感じる。
「イイカゲンな診療が淘汰された」などという呑気な話ではない。むしろリスクに敏感な「まとも」な医師を萎縮に陥らせた意味合いが大きく、弊害のほうが極めて大である。

いわゆるモンスターペイシェントについてはまず「化けさせない」ことが重要で、病院側でも患者側でもない第三者を介して交渉することで対立を防ごうとする取り組みも、ある程度の効果を上げているという。
しかしそうした取り組みを以ってしてもこの件のようなレアでアレなトラブルを防ぐことは困難であろうし、確率が低くてもロシアンルーレットに身を投じたくないのは当然の話。

いくら「妥当な判決」であっても既存の訴訟の枠組みでは、「ダークサイドに堕ちた」相手から医療従事者を、ひいては医療を守るには不十分と感じる。まして医学を無視したトンデモ判決さえ頻発する現状ではなおさらであろう。

遺族の恨みつらみが関わってくる現状の訴訟ではなく、純粋に医学的見地から公平に事例を検討する仕組みが望まれるところである。